
Japanese Dictionary
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ケ‐セラ‐セラ
[形動]《米国映画ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」の主題歌から》なるようになるさ、の意。昭和32年(1957)ごろの流行語。
[補説]スペイン語では、Lo que será, será、英語では、Whatever will be, will beとなる。スペイン語で、Que será(, será)?は、「どうなるであろうか」の意の疑問文。後のserá(動詞)は省略可。
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実用日本語表現辞典
ケセラセラ
別表記:Sera」
英語:Que Sera, Sera
ケセラセラとは、スペイン語の「Que sera, sera」から派生した表現である。直訳すると「何が来るものなら来るがいい」を意味し、未来の出来事に対する開放的な態度を示す。この表現は、未来の結果について過度に心配せず、現在の状況を受け入れるという意味合いを持つ。また、映画や音楽の中で使用されることが多く、特にドリス・デイの歌う同名の曲「Que Sera, Sera」は広く知られている。この曲は、1956年の映画「男が女を愛する時」で使用され、アカデミー歌曲賞を受賞した。ケセラセラは、日常会話や文学、映画などの中で、人々が未来に対する不確実性を受け入れ、現在を生きる姿勢を表現する際に用いられる。
(2023年8月2日更新)
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ケセラセラ
「ケセラセラ」とは・「ケセラセラ」の意味
「ケセラセラ(Que será, será)」は「なるようになる」と訳されるアメリカ映画の主題歌から広まったスペイン語風の昭和の流行語で、日本語に訳されてジブリのアニメ映画「ホーホケキョとなりの山田くん」の挿入歌として使われたことや、twiceの楽曲「BRAND NEW GIRL」の歌詞に使われたことで知られる。ただし、ジブリのアニメの主題歌のタイトルは「ケ・セラ・セラ」である。「なるようになる」は、「物事は自然の成り行きに従うもので、人の力ではどうにもならない」という意味である。諦めの言葉のようでもあるが、自身の力でどうにもならない時には「なるようになる」と考えることで前向きになることができる。そのため「ケセラセラ」を座右の銘としている人もいる。
フランス語にも「Que」と「sera」という語があるためフランス語と勘違いされることもあるが、フランス語の「Que」と「sera」を使って「Que sera sera」と言うことはできないため「ケセラセラ」はフランス語ではない。なお「ケセラセラ」には「Que será, será」のほかに「Que sera sera」や「Quéseráserá」など多くの綴りがあるが、もともと間違ったスペイン語なので綴りについて言及しても意味がない。ここでは「Que será, será」に統一している。「ケセラセラ」の語源・由来「なるようになる」は、スペイン語では「Lo que será, será」である。「Quéserá?」で「どうなるだろうか」という疑問文になる。「Que será, será」は間違ったスペイン語で、一説によると16世紀のイギリス貴族が「What will be will be(なるようになる)」のつもりで作った不正確なイタリア語に由来し、のちにスペイン語風の綴りに書き換えられたと言われる。日本で「ケセラセラ」が知られるようになったのは、1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督のアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌「Que será, será」を、同年にペギー葉山が音羽たかしの翻訳で「ケ・セラ・セラ」として歌ったことからである。原曲の「Que será, será」では「Que será, será」の部分は英訳されておらず、その直後に「Whatever will be,will be」という歌詞が続く。「whatever will be,will be」は、翻訳すると「どうなるだろう、なるだろう」となる。
ペギー葉山のバージョンでも、「Que será, será」は「ケセラセラ」のまま訳されていない。しかし「Whatever will be,will be」は「なるようになるわ」と訳されている。「ケセラセラ」の直後にあるため、「Que será, será」の訳語であるかのように広まったと考えられる。「なるようになる」は原曲の、「What will be,will be」の翻訳である。日本語の歌詞では「判らない、判らない」と訳されている。「Que será, será」は間違ったスペイン語なので訳せないが、ドリス・デイが歌う「Que será, será」が世界的にヒットしたためか、Google翻訳では「なるようになる」という日本語に訳される。
「Que será, será」の日本語訳には、ほかのバージョンも存在する。ペギー葉山と同年の1956年には、雪村いづみも井田誠一の訳詞による「ケ・セラ・セラ」を歌った。この歌詞では、「ケセラセラ」は訳されず「What will be,will be」の部分も「Que sera, sera」となっている。「なるようになる」という意味の歌詞は一切出てこないため、こちらのバージョンがヒットしていれば現在のように「ケセラセラ」を「なるようになる」と認識することはなかったかもしれない。「ホーホケキョとなりの山田くん」の挿入歌「ケ・セラ・セラ」は、監督の高畑勲が訳したものである。「Que será, será」のあとの「Whatever will be,will be」が「なるようになる」と訳され、ペギー葉山のバージョンを踏襲している。「What will be,will be」は「ケ・セラ・セラ」となっている。「ケセラセラ」の熟語・言い回し「ケセラセラ」の熟語・言い回しには次のようなものがある。
人生ケセラセラとは
「人生ケセラセラ」は耳慣れない言い回しだが、ネットで検索すると2016年に韓国で放送されたテレビドラマ「これが人生!ケ・セラ・セラ」がヒットする。原題は「그래,그런거야(そう、そんなものさ)」である。韓国語の辞書で「ケセラセラ」を引くと「케세라세라」と表示されるが、訳語は書かれていない。次に「なるようになる」で辞書を引くと、「체포되다」などの熟語が出てくる。このことから「ケセラセラ」は、韓国でも日本と同じように直接訳すのではなく、外国語由来の言葉として使われていることがわかる。このドラマのタイトルは意訳されたものである。ドラマの内容は、還暦を迎えても家事に追われる三男の妻ヘギョンを中心とした、大家族の日常の物語だ。日本で定着している言い回しとしては、「人生はなるようにしかならない」がある。「人生には何をやってもうまく行かないときがあるものだから、目の前の現実を受け入れて心穏やかに生きよう」といった意味になる。
ケセラセラ精神とは
「ケセラセラ精神」も言い回しとして定着しているものではないが、よい意味での割り切りであり、自分の力でコントロールできない部分は成り行きに任せて余計な気苦労を追い払ってしまおうという精神のことである。言い換えるならば「人事を尽くして天命を待つ」が、最も近い。「ケセラセラ精神」を持つことで自分の力ではどうにもならないことを悩む必要がなくなり、時間の浪費や精神的な苦痛から解放される。「ケセラセラで頑張った」でも「ケセラセラ精神で頑張った」でも意味は変わらないので、特に「精神」を付ける必要はない。「ケセラセラ精神」は、「ケセラセラという気持ちで」というほどの軽い意味合いである。
魔法の言葉ケセラセラとは
「魔法の言葉ケセラセラ」は、twiceの楽曲「BRAND NEW GIRL」の歌詞の一部である。twiceは韓国の9人組女性アイドルグループだ。多国籍で、日本人も3人含まれている。「BRAND NEW GIRL」はtwiceの日本での2枚目のシングル「Candy Pop」に収録されている曲で、2018年にリリースされた。歌詞全体の内容は卒業などで大切な友だちと距離的に離れてしまった寂しさに負けず、友だちと朝まで電話で「恋バナ」などをしながら、新しい環境にいる自分を鼓舞しようとするものである。友だちとのつながりは忘れないまま、新しい女性になりたいと歌っている。「ケセラセラ」は「へこんだ時は思い出そう、魔法の言葉『せーの!』、Que sera sera」のように使われ、「Que sera sera」の部分は訳されていない。しかし歌詞の流れを考えれば、「なるようになる」の意味合いで使われていると考えられる。「ケセラセラ」の使い方・例文「ケセラセラ」は、自分や他人を励ましたいときに使うことが多い。「私は不安な時、いつもケセラセラという言葉を思い出して気持ちを落ち着ける」、「あなたは仕事もできるし語学も堪能だから、海外でもきっとうまく行くはずです。あとはケセラセラで頑張りなさい」などのように使える。「実技試験は一発勝負だったが、ケセラセラという言葉を思い浮かべて集中することができた」、「しっかり受験勉強をしたのなら、ケセラセラで発表を待てばよい」、「首都直下型地震はいつ来てもおかしくないとは言え、十分な備えをしてリスクを理解したら、あとはケセラセラで心配し過ぎない方がよい」などという使い方もできる。
「自分でコントロールできないことに対して、ケセラセラでいられる人は精神が健康だ」、「会社をリストラされ仕事が見つからなかった時は心細かったが、ケセラセラという気持ちになった途端就職が決まった」、「父は戦後の食糧難を、ケセラセラで乗り切ったと話してくれた」という例文もある。「『ケ・セラ・セラ』を聞くと、この歌が流行っていた当時の記憶がよみがえる」、「『ケ・セラ・セラ』は、カラオケの母の十八番だ」は、歌に言及した例文である。
(2022年11月9日更新)
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ケセラセラ
別表記:Será」
英語:Que Será, Será
ケセラセラ(西:Que Será, Será)とは、一般に「なるようになる」と和訳される言い回しです。「物事は勝手にうまい具合に進むもの」「だからあれこれと気を揉んでも仕方がない」「成り行きに任せてしまうのがよい」という意味合い・含蓄のある言い回しと解釈されます。
「ケセラセラ」は元々は映画の主題歌のタイトルです。映画と主題歌が世界的に有名になったことで、「ケセラセラ」という言葉も広く知られるようになり、やがて慣用句の一種のように見なされるようになった、という経緯でがあります。
ケセラセラ(Que Será, Será)はスペイン語の語彙を用いて表現されていますが、元々スペイン語圏ではこのような言い回しはなかったようで、「ケセラセラ」は曲のタイトルとして考案された一種の造語的表現と解釈されています。英語に置き換えると「Whatever will be, will be.」となり、すんなり意味が通ります。日本における和製英語のような、いわゆる「なんちゃってスペイン語」であった可能性が非常に高いという次第です。
「ケセラセラ」は映画主題歌として第29回アカデミー賞(歌曲賞)を受賞しています。
「ケセラセラ」の他に、「明日は明日の風が吹く」という言い回しも、「あれこれ気を揉まずに成り行きに任せてしまおう」という意味合いで用いられる表現として、よく知られています。
「明日は明日の風が吹く」は、映画「風と共に去りぬ」に登場する名台詞としてよく知られています。同作品はアメリカ映画であり、原文は「Tomorrow is another day.」であり、文字通りに訳せば「明日は(今日とは)別の日」といったところ。「風が吹く」という要素は意訳と捉えられます。
日本語表現としては、江戸時代に上演された歌舞伎の演目の中に「明日は明日の風が吹けば~」という台詞がある、とされます。映画「風と共に去りぬ」の翻訳者が、この歌舞伎の台詞を念頭においていた、という推察は可能かもしれません。
(2019年10月4日更新)
Japanese-English Dictionary
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ケセラセラ
読み方:ケ・セラ・セラ
(noun)(work)
[対訳] Que Sera, Sera (song title); Whatever Will Be, Will Be
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